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【ミッドセンチュリーのインテリアを徹底解説】特徴からコーディネートのコツまで1記事で理解する

「ミッドセンチュリースタイルのインテリア」と聞いて、すぐに思い浮かぶ方もいれば、「なんとなく聞いたことある気がするなぁ」という方まで様々でしょう。ミッドセンチュリーとは直訳すると「1世紀の半ば」ですが、インテリア業界では主に「1940年代〜1960年代」のことを表しているとよく説明されています。

日本では1995年に雑誌「BRUTUS」にて「イームズ 未来の家具」というタイトルで特集されたことで、1990年後半から2000年前半にかけて「イームズブーム」が巻き起こりました。ミッドセンチュリーと聞いてイームズの「プラスチックシェルチェア」が真っ先に思い浮かぶ方などは、まさにこのブームを体験した世代の方かもしれません。

さて、そんなミッドセンチュリーインテリアですが、「ミッドセンチュリー家具とは、戦後のアメリカの40〜60年代の家具のことだ」と説明される方や、「いやいや、40年代〜60年代の北欧の家具や日本の家具など他の国もミッドセンチュリーに含んでいいよ」という方など、人によって認識はまちまち。「どれが正しいの?」と迷われてしまう方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

そんな今回は、アメリカのミッドセンチュリー期の家具とデザイナーを中心にご紹介しつつ、同時期活躍した他の国のデザイナーや家具にも少し触れてご紹介していきたいと思いますので、皆さんの考える「ミッドセンチュリーインテリア」を作る時の参考にぜひしてみてください。

インテリア史にミッドセンチュリーが与えた影響を紐解く

そもそもミッドセンチュリーとは?

正確には「ミッドセンチュリーモダン」と言われているインテリアスタイルですが、この「ミッドセンチュリーモダン」というフレーズは、言葉自体は1950年代にはスタイルとしてミッドセンチュリーというカテゴリーが存在していましたが、世の中に広く親しまれるようになったのは、1984年以降のことでした。

「Cara Greeenberg(カーラ・グリーンバーグ)」という女性が「Midcentury Modern:Furniture of the 1950s」という本を1984年に出版し、一万部以上売り上げたことが、世に「ミッドセンチュリーモダン」という言葉が定着するきっかけとなりました。

この本ではイームズなどのアメリカのミッドセンチュリー期のデザイナーの紹介や、ヨーロッパや北欧のデザイナーについても少しだけ紹介しています。

ミッドセンチュリー期のデザイン家具たちは1960年代後半に差し掛かる頃には斜陽期を迎えていましたが、80年代前半から半ばに、この時代への関心が戻り始めました。1990年代になる頃には、ヴィンテージのミッドセンチュリーデザインがますます人気を博し、愛好家たちによってミッドセンチュリー期の家具の値段が上がっていったといいます。

この人気は何も悪いことではなく、製造が終了していたミッドセンチュリー家具が再度製造されるようになるなど、ミッドセンチュリー家具へのムーブメントとなりました。

戦後とミッドセンチュリーの関係

1940年代は、1939年〜1945年までの「第二次世界大戦」の影響が色濃く残った時代と言えます。ミッドセンチュリーの言う1940年代とは、大体が戦後の1945年以降を指しており、戦争のために研究開発や利用された新しい技術や素材が、ミッドセンチュリーの家具に使用されています。

ミッドセンチュリー期の家具によく使われた「成型合板(プライウッド)」とは、1mm程に薄くスライスした単板(ベニア)を一枚ずつ重ねて接着し、熱を加えながら型にはめて曲面状に形作った木工技術のことを言います。

成型合板の歴史自体は古くからあり、1931年にはフィンランドのアルバ・アールトによる成型合板の椅子「パイミオチェア」、1941年にはスウェーデンのブルーノ・マットソンが成型合板で曲線を多用したデザインのイージーチェアとオットマンなどが発表されていますが、その時の加工技術は2次元曲面の成型しかできませんでした。

その古くからあった成型合板技術をベースに、アメリカのイームズ夫妻は、熱と圧力をかけて「木材を3次元曲面で成型する」新たな技法を発見したのです。その技術は、当時戦争中のアメリカ海軍で活躍しました。

軍は夫妻に軍需製品の開発を委託し、成型合板の添え木「レッグスプリント(※写真上部参照)」や担架などの製品を作るよう依頼しました。そしてその後、夫婦は戦後の1946年にその技術を使って製作した椅子「プライウッドチェア(※写真下部参照)」を発表し、その後のプロダクトデザインに大きな影響を与えました。

そしてもう一つ、戦争中に技術が開発された素材で、ミッドセンチュリー期の家具に多用された素材に「FRP(繊維強化プラスチック)」があります。

プラスチックの開発自体は1907年頃、アメリカのレオ・ベークランドによって「フェノール樹脂」の開発まではなっていましたが、家具などの実用化にはいたっておりませんでした。しかし1942年、不飽和ポリエステル樹脂がアメリカで開発されると、FRPを利用した救命ボートがアメリカ海軍によって使用され、初のFRP樹脂実用化が成されたのです。

時代の波とミッドセンチュリー、アメリカがミッドセンチュリーの中心となった

戦争が終結し、アメリカに多くの復員兵が帰還すると、その中の多くが家庭を持ち、住宅ブームが起きたことで、家具の需要も増大しました。戦争で疲弊した他国に比べ、本土に傷を負っていないアメリカは、回復が早く、世界の産業の中心となりました。

戦争中の技術革新のおかげで大量生産の技術が確立し、コストの削減や、大量生産が可能となったこと。戦争中に開発された、新たな技術や素材の流用。ナチスから逃れるようにアメリカに渡ってきた、ヨーロッパの芸術家や建築家の存在。それらがアメリカをミッドセンチュリーデザインの中心的存在となる基盤となりました。

アメリカのミッドセンチュリー期に建てられた住宅には、ヨーロッパのモダンデザインの影響が感じられます。天井には梁が見え、ガラスの壁面があり、部屋全体が広く天井も高い開放的な空間で、暖炉が設置されていることが多いのが特徴です。

部屋の中に、レンガや石材などの壁や床の部分があったり、木質の壁や天井、床があるなど、自然のものが取り込まれている傾向にあり、壁は白や鮮やかな色が使用されています。木質素材は濃い色や深い色のものが多く、部屋のイメージが全体的にオレンジや茶色系となっています。

家具の分野では、3次元曲面成型のプライウッドや、自由な形を作れるFRPなど、素材に縛られない自由なデザインが可能となったことで、ミッドセンチュリーを境に、それまでの家具の直線や限定的な曲線的表現から、曲面的でより自由な曲線を描き、身体にフィットさせるような有機的なフォルムのデザインが生まれるようになります。

ミッドセンチュリー期には、モダンアートからポップアート、ミニマルアートなどの芸術分野のムーブメントがあり、1950年後半〜1960年代には冷戦の宇宙開発競争による「宇宙ブーム」などもありました。40年代の軍事色や愛国色のトレンドカラーから、50年代には一転、華やかなパステルカラーが流行し、60年代には鮮やかなアースカラーが流行しました。

このような時代のアートやカラーなどの特徴もミッドセンチュリーのインテリアに取り込まれており、パステルブルーのキッチンやパステルピンクのバストイレなどのカラーコーディネートや、近未来的な球体や流線型のデザイン、ポップなインテリアなどもミッドセンチュリーインテリアの表現の一つとなっています。

北欧やヨーロッパ、日本のミッドセンチュリーデザインの動き

1950年代、アメリカのミッドセンチュリー期と同じ頃、北欧のデンマークでは「ハンス・J・ウェグナー」や「アルネ・ヤコブセン」「ポールヘニングセン」「ヴェルナー・パントン」などのデザイナーによるデニッシュモダンが世界的に流行し、アメリカでも展示会が行われました。

「北欧モダン」とも呼ばれるようになったスタイルですが、ミッドセンチュリーの時期と重なるため「スカンジナビア・ミッドセンチュリー」と呼ばれることもあります。ミッドセンチュリーインテリアにおいて、この時期の北欧家具を取り入れるべきか、排除すべきか、しばし議論に上がることがあります。

イメージの違いが強いのは、北欧の家具はブナやホワイトオークなど、淡い色の木材を使用しており、逆にアメリカの家具は濃い茶色や赤みの強い茶色など濃い色の木材を使用していることが多いため。

現在では木材の種類や塗装仕上げなどの選択肢もあるので、北欧とアメリカの家具の色を合わせることで、両方のミッドセンチュリーアイテムを一緒にコーディネートすることもできます。あえて選択肢を狭めてインテリアの可能性を消してしまう前に、少し柔軟に受け入れてみるのもいいかもしれません。

北欧以外の国でも、アメリカにやや遅れをとりつつも戦後復興経済成長を始めた各国のデザイナーたちが、1950年代頃から活発な動きを始めます。イタリアでは新素材や技術を利用した冒険的なデザインがされるようになり、「イタリアンモダン」と呼ばれるようになりました。

1946年にイームズ夫妻によって作られた成型合板の椅子「プライウッドチェア」。1951年にアルネ・ヤコブセンによって、背と座が一体となった初の成型合板の椅子「アリンコチェア」へとさらに進化します。その3年後、1954年には戦後復興した日本においても柳宗理が成型合板の椅子「バタフライスツール」を発表、同じく柳宗理により日本初のFRPの椅子「エレファントスツール」も発表されています。

日本の1960年代は、高度経済成長期の時代で、当時ミシンのテーブル部分やテレビの木枠部分などの木製部分を生産していた「刈谷木材」が、洋風家具の生産を開始、「カリモク60」の原点となりました。そのため日本のミッドセンチュリーインテリアでは、カリモク60のKチェアを取り入れたコーディネートも見られます。

日本のミッドセンチュリー家具では、剣持勇の「KMチェア」や田辺麗子の「ムライスツール」、豊口克平の「スポークチェア」など、1950年代半ば〜1960年代の頃のデザインのものが有名です。

ミッドセンチュリーの代表的な5名のデザイナー

イームズ夫妻

類稀な才能と好奇心でミッドセンチュリーを代表するデザイナー夫婦

1907年生まれのチャールズ・イームズと、1912年生まれのレイ・カイザー(バーナイス・アレクサンドラ・カイザー)が結婚したのは、1941年のこと。クランブルック美術学院に勤務する同僚であり、共通の関心の多さと才能に互いに引かれ合ったと言います。

夫婦ともに素材への好奇心が旺盛であり、成型合板だけではなく、プラスチック、繊維強化プラスチック、ワイヤーなどの素材を用いた名作家具の数々を残しています。彼らのこういった素材への新たな試みとデザインは、20世紀のプロダクトデザインに大きな影響を与えました。

「ジョージ・ネルソン」に招かれて以来、現在に至るまでイームズデザインの家具は、「ハーマンミラー」にて正規販売されています。ハーマンミラーを世界的メーカーにした一員(一因)であり、ミッドセンチュリーといえばイームズ夫妻の名前が必ず出るほど、重要なデザイナー夫婦です。

プラスティック・シェルチェア:Herman Miller

1950年に発売された「プラスチックチェア」は、1948年のニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催した「ローコスト家具デザイン国際コンペ」のためにデザインされたものでした。発売からわずか1年で有名となり、それから70年以上が過ぎた現在でも、イームズシェルチェアはその革新的なデザイン、実用性、多機能性、快適性によって、今でも称賛され続け、高い人気を誇っています。

コンパクトなデザインと、当時では珍しい「ガラス繊維強化ポリエステル樹脂」を使用した軽量で扱いやすい、大量生産された初のプラスチック製チェアです。現在は、正規販売メーカーのハーマンミラー社では、環境に配慮して100%リサイクル可能なポリプロピレンに素材を変更していますが、同様に軽くて扱いやすい素材です。

ちなみに、かつて日本で起こったイームズブームでは、この椅子を多くの日本人が買い求めたそうで、「ミッドセンチュリー=イームズのプラスチックチェア」のイメージを持っている方も多いようです。カラーバリエーションが豊富であり、軽くて扱いやすく、シンプルで馴染みやすいデザインから、ミッドセンチュリーインテリアスタイルだけではなく、多くのスタイルに取り入れることができます。

価格:¥38,000〜62,000(サイドタイプ張り地なし)
¥70,000〜94,000(サイドタイプ張り地あり)
¥54,000〜84,000(アームタイプ張り地なし)
¥87,000〜119,000(アームタイプ張り地あり)

サイズ:W46.5×D55×H81cm(サイドタイプ)(張り地なしスタッキングベースのみH80cm)
W62.5×D60×H80.5cm(アームタイプ)(張り地なし4レッグベースのみH79.5cm)
W62.5×D69×H67cm(アームロッカーベース)

エーロ・サーリネン

ミッドセンチュリーを代表する多くの建築物と家具をデザインした建築家・家具デザイナー

「エーロ・サーリネン」は1910年にフィンランドで生まれ、アメリカで活躍したデザイナーです。父はクランブルック美術大学の創始者である建築家の「エリエル・サーリネン」です。

学生時代にイームズ夫妻と交流を持っており、1940年にはチャールズ・イームズとともに、ニューヨーク近代美術館のコンペに、成型合板を使った椅子・棚・机を共同で出展し優賞し、これを機にチャールズ・イームズと共に一躍注目を浴びる事になります。

幼い頃からの「フローレンス・ノル」と深い親交があり、彼女のデザインに影響を与えています。また、彼女がKnoll(ノール) に入社した1940年より、彼女に依頼され、Knollとのコラボレーションをスタートしています。その後15年にわたり、70ものシーティングコレクションなど数々の名作をデザインし、Knollの歴史に大きくその名を刻みました。

建築家としても有名であり、「ゼネラルモーターズの技術センター」や「MITクレスゲ・オーディトリアム」、ジョン・F・ケネディ国際空港の「TWAターミナルビルなどのデザインでも知られています。彼のデザインは、コンクリート・シェル構造を用いた流れるような曲面の表現主義的なスタイルの建築で、建築の中の内装や家具デザインも手がけています。

チューリップチェア:Knoll

1957年に発表された「チューリップチェア」は、床から伸びる一本の脚と、チューリップの花弁のような見事な曲線を描くシェルを持ち、そのフォルムが一輪の花のように見えることから、チューリップチェアと名付けられました。一本脚で自立するデザインは、テーブル下が椅子やテーブルの脚でごちゃごちゃとするのを解決するため、多大な研究を重ねて生まれた世界初のデザインであり、それまでの椅子の概念を覆すものでした。

脚部の材質には強度的問題を考慮してアルミダイキャストを使用し、シェル部分にはガラス繊維強化プラスチック (GFRP) を使用。また、クッションには革および布地が使われており、チューリップチェアは「異なる素材を使用しながらデザイン的融合に成功した名作」と言われています。座面のシェルは回転式と固定式があり、シートクッションの張り地には、さまざまなカラーのファブリックが用意されています。

価格:¥225,000〜250,000(アームレス)/¥275,000〜304,000(アームチェア)/¥148,000〜155,000(スツール)

サイズ:W49×D53×H79cm(アームレス)/W68×D59×H79cm(アームチェア)/φ40×H43cm(スツール)

ジョージ・ネルソン

ミッドセンチュリーを盛り上げた立役者

1908年にコネチカット州ハートフォードに生まれた「ジョージ・ネルソン」は、ミッドセンチュリーを語る際には決して忘れてはならない人物の一人です。彼は、多くのデザインを残したと共に、ミッドセンチュリーを語る上では欠かせないデザイナーたちを発掘した人物でもあります。

1931年にローマのアメリカンアカデミーに留学。帰国後は建築ジャーナリストとして活躍します。1936年 に、ニューヨークで「ウィリアム・ハンビー」と建築事務所を設立。1945年ライフ誌に、壁面収納の「ストレージウォール」が掲載されると、ハーマンミラーの創業者「D.J. デプリー」がその記事を目にして強い印象を受け、ネルソンをデザインディレクターへと勧誘します。

1946年に、ハーマンミラーのデザインディレクターに就任にすると、まだ無名だった「イームズ夫妻」をはじめ、「イサム・ノグチ」や「アレキサンダー・ジラード」などの人物たちをハーマンミラーへ勧誘し、ハーマンミラーを世界クラスのメーカーへと成長させました。

また、47年には「ジョージ・ネルソン・アンド・アソシエイツ」という自信のデザインオフィスも設立しており、「アーヴィング・ハーパー」「アーネスト・ファーマー」「ゴードン・チャドウィック」「ジョージ・チェルニー」「ドン・アーヴィン」などの優れた従業員と協力して、ネルソンクロックシリーズをはじめ多くのミッドセンチュリーを代表する作品を発表しました。

ネルソンクロックシリーズ:Vitra

ネルソンクロックはネルソンとジョージ・ネルソン・アンド・アソシエイツのスタッフ、そしてハワードミラー社の製造のもと創造された、アメリカモダンデザインを代表する時計シリーズで、その種類は130以上もデザインされました。

人は、無意識に時計の数字ではなく針の位置を確認しており、数字よりも針の位置の方が重要だとネルソンは捉え、インテリアへの重要性と時間への無意識への認識のふたつの傾向を、時計のデザインに取り込みました。

左下の「ボールクロック」は、1949年にネルソンオフィスのデザインディレクターを務めたアーヴィン・ハーパーによってデザインされました。ロッド先端のボール部分は木製なので、ポップながらも柔らかい印象を与えてくれます。

中央上の「スピンドルクロック」は1957年に、右下の「サンバーストクロック」は1952年に、ジョージ・ネルソンによってデザインされました。 ちなみに、ネルソンクロックシリーズは、1999年からはヴィトラ社より復刻して生産しています。メカニックはドイツ最大の時計メーカーのユンハンス社製となっています。

ネルソンの時計のシリーズは、その特徴的な形態からデザインの古典的なアイコンともなっており、またミッドセンチュリーインテリアのウォールデコレーションに欠かせないアイテムとして、今もなお愛され続けています。

価格:¥34,000〜42,000(ボールクロック)/¥48,000(スピンドルクロック)
/¥39,000〜47,000(サンバーストクロック)

サイズ:φ33cm(ボールクロック)/φ57.7cm(スピンドルクロック)
/φ47cm(サンバーストクロック)

※デザイナーやデザイン背景、設計された時代背景など該当家具が名作たる理由を解説してください。

アレキサンダー・ジラード

ミッドセンチュリーのグラフィックとテキスタイルを語るなら絶対に外せない人物

1907年ニューヨークに生まれた「アレキサンダー・ジラード」は、イタリアのフィレンツェで育ち、ヨーロッパで建築を学び、1920年代後半に建築とインテリアデザインの仕事を始めました。

1952年、ジョージ・ネルソンに誘われ、ハーマンミラーのテキスタイル部門のデザインの責任者となると、その豊かな色彩感覚を発揮します。

当時オフィスで用いられていたのは、ほとんどが実用本位で色彩に乏しい無地のファブリックでしたが、ジラードは、原色や簡潔な幾何学模様、そしてユーモアのエッセンスを駆使して、デザインに喜びとおおらかさを与えました。

1960年にラテンアメリカをテーマにしたレストラン「LA FONDA DEL SOL」のトータルデザインを手がけ。1965年、「ブラニフ国際航空」の企業イメージ全体を刷新する責任者となり、トランプから紙マッチケース、荷物用タグからチケット、空港のラウンジから機内デザインに至るまで1万7,543点をデザインしました。

新婚旅行でメキシコを訪れた際にフォークアートに魅せられたことをきっかけに、世界中から10万点以上ものフォークアート収集。フォークアートからインスピレーションを受けた独特の色づかいやユニークなモチーフなど、1973年までの在任中に生み出した、テキスタイル・壁紙・プリント生地・家具・オブジェのデザインは300を超え、アメリカのテキスタイルデザインに強い影響を与えました。

ジラードカラーウィールオットマン:Herman Miller

1965年の「ブラニフ国際航空」のための一連のプロジェクトのためにデザインされた空港ラウンジのためのオットマン。2年後の1967年に、ブラニフ航空用のデザインは「ジラード・グループ」として一般に発売されました。ちなみに、これはハーマンミラーが発売したジラードデザインの唯一のファーニチャーシリーズです。

ジラード・グループシリーズはわずか1年しか製造されませんでしたが、生き生きと、個性にあふれ、さまざまな環境にフィットする美しく多用途なソリューションとしてデザインされていました。そんなジラード・グループの復刻第一弾として、この「ジラードカラーウィールオットマン」は現在に復活しました。

「ジラード・グループシリーズは、カメレオンに似た、特性は変わらなくても、環境に応じて皮膚のテクスチャーやカラーが変る」とジラード自身が書き残したように、「無限に並べ替えることができる」カラーホイールオットマンは、ジラードの創意に富んだ順応性のあるファーニチャーです。

遊び心があり、ひと目でアレキサンダー・ジラードの作品だとわかる鮮やかな色使いは、様々な空間を彩ります。ジラードがハーマンミラーのためにデザインしたこの作品は、2種類の密度のフォームを使用したクッションによって、フットレストとして、コーヒーテーブルとして、予備のチェアとして、あるいは会話のきっかけとして、家庭でも職場でも活躍します。

価格:¥337,000〜377,000

サイズ:φ91.5×H38cm

ハリー・ベルトイア

多大なる才能に恵まれたミッドセンチュリーの芸術家

1915年にイタリアに生まれたアメリカ人の「ハリー・ベルトイア」は、15歳の時に干ばつによりアメリカのデトロイトに移動しました。CASS工業高校で芸術やデザインを学んだのち、金属加工で宝飾品を手掛けました。

デトロイト工業高校とデトロイト芸術工芸学校で学んだ後、1937年ごろ「クランブルック美術大学」で自ら彫金のクラスを設け、そこでジュエリーデザインと金属加工について教えました。そこで「ウォルター・グロピウス」「エドマンド・N・ベーコン」「イームズ夫妻」「フローレンス・ノール」に出会います。

1943年にチャールズ・イームズの誘いを受け、カルフォルニアで成形合板での製品開発に協力しますが、理念や美学の違いもあり、1950年に独立します。同年、フローレンス・ノルとその夫であり「Knoll」の創始者「ハンス・ノル」の強い勧めによりKnollと仕事をすることになります。

ハンスはベルトイアのアーティスト性を優先し、ハンスが作った工房で自由な創作活動に打ち込めるように配慮してくれました。ハンスとフローレンスはベルトイアに家具をデザインすることを強要しませんでしたが、代わりに彼が好きなものを探求するよう促し、彼が何か面白いものに辿り着いたら、ただ教えてくれるだけでいいと頼みました。

その結果、1952年に発表したのは、彼の代表作である「ワイヤー家具のコレクション」です。この作品は、20世紀の新しい家具を象徴するデザインとして大ヒットし、世界中に認められました。ちなみに1951年にイームズ夫妻により「ワイヤーチェア」が発表されており、その似た構造から訴訟となったこともありました。

発表はイームズ夫妻の方が早かったのですが、そのワイヤーロッドを使った構造の製品化は、金属の扱いに長けたベルトイアが、イームズの会社に在籍していた頃の功績によるものでした。

ベルトイアは、家具デザイナーというよりも芸術家、彫刻家としての活動が中心であり、発表した家具もそのワイヤーシリーズのみです。自身もデザイナーと呼ばれるよりも、彫刻家と呼ばれることを望んでおり、彫刻作品を多く残していますが、彼のデザインしたワイヤーシェル構造のダイヤモンドチェアの存在と、その技術は、20世紀のプロダクトを語る際に絶対に外せない存在となっています。

ベルトイア ダイヤモンドチェア:knoll

1952年にデザインされた「ベルトイア ダイヤモンドチェア」は、ベルトイアが、空間、形状、機能などあらゆる研究を重ねて生み出した優美なチェアです。デザイナーではなく彫刻家として呼ばれることを好んでいたベルトイアの作品らしく、彫刻のような美しい形状が特徴的。

フレームは、異なる長さのスチールロッドを3次元に曲げ、その後ダイヤモンド型に溶接固定しています。金属造形に長け、溶接技術の天才的な腕前をもっていたベルトイアが 「空気と鋼の彫刻である」 と言い表したこのシリーズは、強堅なつくりでありながら軽やかでスタイリッシュ。「椅子の形をした現代彫刻作品」といわれる名作です。

ベルトイア自身も「この椅子は、ほとんど空気でできています」と表現し、金属であることを感じさせない有機的な動きのあるフォルムと、身体にフィットする座り心地が特徴。金属の椅子でありながら、硬さや冷たさを感じさせないこの椅子は、インテリア史に残る名作で、MoMAの永久コレクションとして収蔵されています。

価格:¥152,000〜449,000(アームチェア)/¥326,000〜353,000(フルカバー)/¥339,000〜504,000(ラウンジ)/¥419,000〜604,000(ハイバック)/¥131,000〜203,000(オットマン)

サイズ:W85×D75×H75cm(アームチェア)/W86×D76×H76cm(フルカバー)/W114×D82×H71cm(ラウンジ)/W98×D89×H101cm(ハイバック)/W62×D44×H39cm(オットマン)

ミッドセンチュリーのおしゃれコーディネート6選とポイントを紹介

ミッドセンチュリーを代表する照明「バブルランプ 」を使ったコーディネート

ミッドセンチュリーの照明と言えば、アメリカのジョージ・ネルソンのデザインした「バブルランプ」シリーズが有名です。ミッドセンチュリーインテリアに取り入れたいと考えている方も多いでしょう。ワイヤーフレームとプラスチックによってできたこの照明は、シェードの面積が広く、部屋全体を柔らかく照らしてくれるのが特徴的。

ネルソンのデイベッドと時計、イームズのプラスチックシェルアームチェアのロッカーレッグタイプなどと合わせたコーディネート。むき出しの梁や、ガラスの壁面といった建築スタイルは、1950〜60年代頃のアメリカの都市郊外に建設された家に多く見られたもので、家具と相まってアメリカンミッドセンチュリースタイルを見事に再現していることがわかります。

カラーコーディネートの点では、50年代の流行色である赤やブルーを取り入れており、その相反する2色使いが、真っ白なバブルランプの存在を引き立てています。ミッドセンチュリーインテリアでは色の使い方にも特徴があるので意識してみるといいでしょう。

バブルランプは白色で、最近の住宅によく見られる、天井から壁まで全て白色の部屋などでは存在が霞んでしまいますので、カラフルな家具と組み合わせることで、より魅力的なコーディネートにできます。

一本足の椅子で魅せるスペースエイジコーディネート

エーロ・サーリネンの「チューリップチェアシリーズのスツール」と「ペデスタルシリーズのテーブル」、部屋の奥にはエーロ・アールニオの「ボールチェア」を配置した、昔の宇宙映画に登場する近未来の椅子のような家具を配置したコーディネートです。ボールチェアのインパクトは抜群で、近未来的な印象を簡単に作り上げてくれます。

1950年代後半から1960年代前半にデザインされたこれらの家具は、ともにフィンランド出身のデザイナーながら、その先進的でポップなデザインはミッドセンチュリー期のアメリカでも愛されました。こういった「当時の人々が思い描いたような近未来の世界観」を再現したテイストも、ミッドセンチュリーインテリアと言われています。

丸や球、曲線などを取り入れたデザインと、FRP素材のツルッとした質感、それまでにない一本足のフォルムのアイテムたちが、可愛らしくも近未来感のあるスタイリッシュな印象となります。ちなみに、参考にするならば、近未来の世界を描いた昔のSF映画などの雰囲気がおすすめです。

イエローとオレンジのカラーコーディネートは、1960年代にアメリカで流行した鮮やかなアースカラーの組み合わせです。

スペースエイジにおすすめなデザイナーは、サーリネンやアールニオの他、ヴェルナー・パントンやヘンリック・トール・ラーセンなど。FRPなどを使ったデザインを発表しているデザイナーや、意外とアネル・ヤコブセンのエッグチェアのような包み込むような形のアイテムなどもおすすめです。

カラフルなのにごちゃつかない「イームズコンパクトソファ」でスッキリコーデ

ミッドセンチュリー期に流行した建築スタイルの建物に、鮮やかでポップな色彩豊かなカラーコーディネートと、既存の形に捉われない有機的な形を織り成すミッドセンチュリー家具を配置した、エネルギッシュな印象のコーディネートです。

ジョージ&レイ・イームズ夫妻の鮮やかなイエローの「コンパクトソファ」や真っ白な「エリプティカルテーブル」、ヴェルナー・パントンの真っ赤な「ハートコーンチェア」に、カラフルなスツール、幾何学模様のラグなどが印象的で、ネイビーカラーの壁面とウッドカラーの床や天井とのコントラストがインテリアの表情を豊かにしています。

コンパクトソファはその名に反し、190cm近い大きなソファですが、それを部屋に2つ置いているのにスッキリとしています。全体的にカラフルですが、柄物をモノトーンのラグのみにし、大きなアイテムであるテーブルやソファは、シャープなデザインのものを選んでいるため、ごちゃついた印象にはなっていません。

ポップなミッドセンチュリーコーデでは、形がノーマルになりがちなソファを、他に埋もれない印象的なアイテムにするのも重要です。しかし部屋を使いやすく、散らかった印象にさせないようにするのも忘れてはいけません。張り地のカラーやデザイン、素材、大きさなど、ちょっとした工夫で、無秩序な雰囲気からポップでアーティスティックな印象に変わるのです。

ネルソンのサンバーストクロックにある色を使ったコーディネート

数多くあるネルソンクロックの中でも有名な「サンバーストクロック」は、オレンジがかった赤・鮮やかなブルー・暗いグリーン・黒・白・グレーの6色で構成されています。このコーディネートを見てみると、類似した色を使ったミッドセンチュリーアイテムを上手に組み合わせているのがわかります。

イームズの「プラスチックシェルチェア」のブルーやシルバーのグレー、イサム・ノグチの「サイクロンテーブル」の白とシルバーグレー、ポール・ヘニングセンの「コントラストランプ」の白と赤色、観葉植物の暗いグリーンに、収納棚のオレンジがかった赤系の茶色も似た色を使っています。

そして黒と白のアニマルレザーのラグも、ミッドセンチュリーインテリアによく使われるアイテムです。全体的にバランスよく6色を配置することで、調和のとれた安定感のあるコーディネートとなり、それぞれの個性を潰すことなく各アイテムが印象的になっています。

カラーアイテムを使ったミッドセンチュリーテイストを取り入れたいが、色使いが難しいと感じている方は、サンバーストクロックような多色使いのアイテムを一つ決め。その要素を、少しずつ他のアイテムに加えることで、派手になり過ぎたり、めちゃくちゃな散らかった配色になるような失敗を防ぐことができます。

またネルソンクロックシリーズは、その形が印象的なため、時計としての機能だけではなく、ウォールデコレーションや机の上を飾るためにも活躍してくれます。種類も豊富であり、お好みのデザインを取り入れやすくなっているので、一つ二つと飾ってみても楽しめるアイテムです。

日本の住宅にもマッチするイームズのテーブルで、ミッドセンチュリーを再現する

イームズの「プライウッドコーヒーテーブルメタルベース」は、ちょっとお洒落なちゃぶ台のようなルックスで、日本の住宅にも取り入れやすいアイテムです。また、ウォールナットなど濃い色の木素材は、アメリカのミッドセンチュリースタイルに欠かせない要素です。

イームズの「ラウンジチェア」と「ストレージユニット」の収納に、壁面には「ネルソンクロック」をウォールデコレーションとして活用した上手なコーディネートとなっています。落ち着いた印象のミッドセンチュリースタイルを作りたい方に、参考になるコーディネートです。

ダークブラウン系の色と、ブラックカラーの組み合わせは、アメリカンミッドセンチュリーインテリアを作りたい方におすすめのカラーコーディネートです。また、ミッドセンチュリーのテーブルは、脚が華奢なものや特徴的なものが多く発表されているので、その特性や個性を生かしたコーディネートが楽しめます。

ミッドセンチュリーのテキスタイルを取り入れるならラグマットがおすすめ

ヴェルナー・パントンのデザインしたテキスタイル「Curve」柄のラグマットが効いたコーディネート。イサム・ノグチの名作「コーヒーテーブル」やカリモク60のモケットグリーンのソファ、パントンの「パンテラテーブルランプ」にアレキサンダー・ベグの「カサリーノ」など、アメリカや北欧、ヨーロッパ、日本など世界のミッドセンチュリーアイテムを上手にコーディネートしたお部屋です。

お部屋を一気にミッドセンチュリーの雰囲気に仕上げくれるミッドセンチュリー期のテキスタイルは、大きなものでは壁紙やカーテンなど。小さなものではクッションカバーやパネルアートなどで取り入れることができます。

小さいアイテムは配置や配分が難しく、大きなアイテムは扱いが難しいため、ミッドセンチュリー初心者さんなどはラグマットなどの中くらいの大きさのアイテムが一番扱いやすいでしょう。

ミッドセンチュリーインテリアに使うラグは、このような当時のテキスタイルの柄を使ったものや、細かい部族柄のヴィンテージのもの、幾何学模様のものがよく使われています。また、無地のものではシャギーラグなどがミッドセンチュリーインテリによく取り入れられます。

小物などや大物のアイテムでテキスタイルを取り入れている場合は、部屋が賑やかになりすぎてしまうので、無地のシャギーラグなどもおすすめです。部屋の明るさやトーン、色彩バランスなどを考えながら探してみるといいでしょう。

まとめ

戦後の落ち込んだ経済から、回復、そして急激な経済成長と、工業や科学の発達の波を受けてその形を作り上げたミッドセンチュリーという時代は、様々なムーブメントやアートの影響を色濃く反映したスタイルと言えます。一言にミッドセンチュリーといっても、当時の時代のインテリアスタイルを反映させたものですら、40年代〜60年代の期間の移り変わりによって、そのコーディネートは様々です。

ましてやその時代を題材にした、映画やドラマなどを参考にしたミッドセンチュリーコーディネートは、また少し違った要素を取り入れて人々に流行をもたらし、創作というカラーを取り入れたことでスタンダードなミッドセンチュリースタイルとはまた違った魅力を放っています。

ミッドセンチュリーインテリアの定義について意見が分かれるところがあると冒頭で言いましたが、しかし共通して言えることは、40年代〜60年代にデザインされたミッドセンチュリー家具は、過去何度もブームを起こし、また現代の私たちの心も掴んでしまう、エネルギーに満ちたアイテムということです。

アメリカや北欧、ヨーロッパ、日本などと区別することなく、戦後の平和と自由の空気に満ちたミッドセンチュリーインテリアを取り入れて、インテリアライフを自由で開放感に満ちた気持ちで楽しんでみてはいかがでしょう。

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